「さて、患者さんもひと段落したことだし、今日はそろそろ店じまいにしましょうか」
ケーラは伸びをしながら、傍らで資料整理に励むヴァニラに声をかけた。
「はい、ケーラ先生。こちらももう終わるところです」
ファーゴに入港してから丸一日。
戦闘もなく、花粉症騒動も落ち着いた今、医務室の忙しさもさほどではなくなっていた。
いいことだ、とケーラは思う。
とりあえず一息つこう。椅子に凭れ掛かると、右手が無意識のうちにコーヒーサーバに伸びていた。
ロンビ・コナ産。ヴァニラが淹れてくれたものだ。
「今日二十杯目です、ケーラ先生」
「えっ、もうそんなに?」
「紺屋の白袴という喩えもあります。度を越されるのは……」
「わ、わかったわよ。今日はこれで最後だから、ね?」
全く、ヴァニラの真面目さと几帳面さには恐れ入る。
だからと言って、今の私の殆ど唯一に近い楽しみに文句をつけなくても……
(大体、紺屋に喩えなくても「医者の無養生」そのまんまででいいじゃないの。
このあたりが、ヴァニラのわからないところなのよね……)
表情を変えぬまま、てきぱきと書類をまとめているヴァニラを見ているうち、ふと悪戯心が湧いてきた。
「ねぇヴァニラ……最近、悩み事があるんじゃない?」
「え……?」
ヴァニラの手から、ぱたりとファイルがこぼれ落ちた。
「なぜ……そう思われるのですか?」
驚きの目でこちらを見つめる。どうやら図星だったらしい。
「何言ってるの。私、ヴァニラのことだったら何でもわかるんだから」
「そんな……ミントさんのようなテレパスならともかく……」
「あのねえヴァニラ。心の状態というのはいろいろなところに反映されるの。
コーヒー一つにとってもそう。
淹れた人が苛立っていれば、苦味が増してしまったりするものよ」
「そう……なのですか?」
「ええ。ヴァニラが淹れてくれた今日のコーヒー、
確かに美味しいけれど、普段よりちょっと酸味が強く出てるわ。
ほんの微妙な差だけれどね」
これは嘘だ。ヴァニラは自分で味見もしないくせに、
判で押したようにベストな味のコーヒーを淹れてくれる。
今日もその例に漏れない。
だが、何しろ自分では飲まないのだから、
こうやってカマをかけられてもわかるはずがない。
「さすがです……ケーラ先生」
ヴァニラの視線は、尊敬の念さえ帯びていた。
いくら冷静沈着でも、こちらのはったりにあっさり引っかかるところは、まだまだ子供だ。
固より、ヴァニラは人を疑うことを知らない性質ではあるのだが……。
「伊達にカウンセラーの資格を持ってるわけじゃないわ。
よかったら話してくれない?」
ヴァニラの悩みは、おおよそ見当がついていた。
タクトだ。
花粉症騒動で倒れた時に介抱してもらって以来、明らかにヴァニラのタクトに対する態度が変わった。
廊下ですれ違っても、タクトを無意識のうちに目で追っている。
それに、ナノマシンペット。
ヴァニラがタクトを会話を交わしている間、ナノマシンペットははしゃぎっぱなしなのだ。
そのナノマシンペットが、今日は全く元気がない。
尻尾を丸め、ヴァニラの肩でこれでもかというくらい小さくなっている。
(それまでの感謝や尊敬の気持ちが、ヴァニラの中で変化してきているのね……)
ケーラはそう推測していた。
「で、でも……」
「大丈夫。秘密は絶対に守るから」
そう言って、ヴァニラの肩に手をかける。
「ですが……」
ヴァニラは俯いてしまった。
ナノマシンペットが、不安げにヴァニラとケーラの顔を見比べている。
「……じゃあ、当ててみましょうか」
「え?」
「マイヤーズ司令と関係があるでしょ」
「……!」
うたれたようにヴァニラは顔を上げた。
殆ど驚愕の目でこちらを見据える。
「どうして……わかるのですか?」
(この子ったら、自分が司令のことが好きなこと、バレてないと思ってるんだわ。
可愛い……可愛すぎる!)
「だから言ったでしょ。ヴァニラのことは何でもわかるんだって」
「……ケーラ先生には、お見通しなのですね……」
ヴァニラは諦めたように肩を落とした。
「秘密に……していただけますか?」
「もちろんよ」
来た来た来た! 年上への憧れ、自分の気持ちへの戸惑い、そして意識し始める性のうずき……
これぞ思春期!! それを人生の先輩として根掘り葉掘り聞き出せるなんて……くぅーっ! たまらないわ……
内心浮き足立ちながら、入り口をロックするケーラ。
そのケーラが、今度は驚く番だった。
「私……こんな気持ち、初めてなんです……」
正面の丸椅子に座らせたヴァニラの口からは、そんな甘酸っぱい言葉が流れてくるはずだった。
だが、目の前のヴァニラは、俯いて黙りこくったままだ。
先ほどは覚悟を決めたように見えたが、それでもまだ何か迷っているようだ。
「あの……ヴァニラ?」
声をかけると、ヴァニラは弾かれたように腰を浮かせた。
制服の下に履いているタイツに手をかけ、無言で下ろしにかかる。
「ちょ、ちょっと……」
見ると、ヴァニラは顔を真っ赤に染めている。恥ずかしさの余り、口も利けないといった風情だ。
それでも、意を決したように口を開く。
「すみません、見ていただくのが一番早いと思って……」
そう言うと、ヴァニラは制服の裾をおずおずとつまみ上げた。
余程恥ずかしいのか、目を瞑って横を向いている。
フリルが持ち上がった、その向こうには……
「……ヴァ、ヴァニラ、あなた男の子だったの!?」
タイツと一緒にショーツも下ろしてしまっていたのだろう。
恥毛の兆しすら見られない陰部から、紛れもない陰茎が顔を覗かせていた。
今度はケーラが、驚きの目でヴァニラを見つめる。
「いいえ……ケーラ先生」
ヴァニラは消え入りそうな声で、やっとそれだけ口にした。
それはそうだ。ヴァニラの入隊検査記録にも、きちんと女性と記されていた。
半陰陽という報告もない。
「じゃあ、これは……?」
「それが……今朝起きてみたら、いつの間にか……」
生えていた、ということ? そんな馬鹿な……
もう一度しげしげと眺めてみる。
歳相応に可愛らしいペニス。
包茎ではあるが完全に閉じてはおらず、包皮の間から鈴口が顔を出している。
先ほどは驚きのあまり気付かなかったが、その根元に陰嚢は付いていなかった。
ちゃんと女性器がその位置にある。
要はクリトリスがペニスに成り変わっているという恰好だ。
「……こんな大事なこと、どうしてすぐ相談してくれなかったの? ヴァニラ。
そりゃ、恥ずかしいでしょうけど……」
「すみません……」
ヴァニラは心底すまなそうに言う。
「い、いえね、責めてるわけじゃないのよ?」
「はい……。
今一時落ち着いているとはいえ、いつエオニア軍の攻撃があってもおかしくない状況です。
攻撃があれば、また負傷者が出ます。
そんな時に、ケーラ先生のお心を煩わすようなご相談をするのは、と……」
「ヴァニラ……」
「恐らく原因もすぐにはつかめないでしょうし、だから……」
ああ、そうなのだ。この子はこういう子なのだ。
そう思っていたからこそ、殊更冷静に振舞おうとしていたのだろう。
不安を押し殺して……
「馬鹿ねヴァニラ、そんなこと気にしてどうするの」
そう言って、ヴァニラの頭を優しく腕に抱える。
「すみません……」
腕の中からのくぐもった声を聞きながら、
ケーラはヴァニラをからかおうとしたことを後悔していた。
もっとも、そうしたからこそ、ヴァニラに起きた異変を知ることができたのだが……
(あら? でも……)
と、ケーラは一つの疑問に行き当たった。
再びヴァニラを丸椅子に座らせる。ヴァニラは律儀に裾を掴んだままだ。
「自分で言ったくせに訊くのもなんだけど、
どうしてこれがマイヤーズ司令と関係が……」
言いかけてケーラはその理由を悟った。
タクトの名を出した途端、ヴァニラのペニスがひくん! と反応したからだ。
しかし、気付かぬ振りで続ける。
「……マイヤーズ司令と関係があるのかしら?」
「いえ、あの……」
目を伏せるヴァニラ。
「もしかして、司令にいやらしいことをされたりとか……?」
「ち、違います……タクトさんはそんなことをする方ではありません……!」
気色ばんで否定する。
「じゃあ、どうして……?」
再び俯いてしまう。
その仕草とは裏腹に、自ら口にした「タクト」という単語に反応したのだろう、
ヴァニラのペニスはむくむくと頭をもたげ始めていた。
柔らかな包皮が剥け出し、亀頭が顔を見せ始める。
「あ……!」
ヴァニラは慌てて制服の裾を引き下げた。