ヴァニラな話2

午後のティーラウンジ。
死線を共にした仲間たちと、紅茶をすすりながら談笑する。
私の一番好きな時間、私の一番安らげる場所。
よく「ヴァニラは輪の中に入れてないんじゃないか」とか、「一人で暇そうにしている」とか人に言われるけれど、
そんなことはない。私は楽しんでいる。
ただ仕事柄感情を表に出さないだけ。
……でもこれは詭弁かもしれない。私は感情を表現するのが下手なのだ。
嬉しいとき、悲しいとき、笑ったり泣いたりできるのは人間の特権。その特権を、私は使えずにいる。
私にも心の湖面が荒れることもある。穏やかに波打つこともある。
だけど私の顔は、まるでセメントで固めたように動いてくれない。
心と、目や口を結ぶ糸がぷっつりと切れてしまったのだろうか?
そんな私を哀れむように見つめる一人の女性がいる。
向かいのテーブルに腰かけ、ティーラウンジにいるのにコーヒーも紅茶も飲まず、
じっと私だけを見つめる。私もその目を見つめ返す。
その女性は私と視線がぶつかるのを避けるように、ふっと目をそらした。そして、軽く笑った。
あの微笑は誰に向けられたのだろう。それはわからなかったけど、私もあんなふうに笑えればいいのにと思った。
ひとつ気になることがある。あの女性は、私以外の人間にも見えているのだろうか?
「それで、ヴァニラはどうなのよ?」
蘭花さんからの質問。話を聞き逃した私は、どう答えて言いのかわからなかった。
「えっ、あのう、なにをですか…」
「だからぁ、初恋の男よ。ヴァニラにも誰かいたんでしょ?」
曖昧な私の態度にも怒らず接してくれる。つくづく感謝だ。
だからこそ、私は怖い。いまこの人たちを失ったら私の居場所はなくなってしまう。
それがたとえ仕事上のお付き合いだとしても、私はそれを絆と呼ぶ。
さて、先ほどあがった初恋話だが、残念ながら私にはそんなものはない。
「私は、その…」
この後に何を言ったのかは忘れてしまった。ただみんなを落胆させず、
かといって満足させられないようなことを言ったのだと思う。
ふと向かいのテーブルに視線を戻す。あの女性の姿がない。
女性が消えたことに関してはあまり驚かなかった。たぶんそういうものだろうと思っていたから。
私は仲間たちの会話に耳を傾ける。内容は恋愛から食べ物の話へ変わっていた。
でもあの女性は何故私を見ていたのだろう?
まるで女の子の会話が切り替わるように、ふわりと姿を消した女性のことを気に留めながら、
私は冷えかけた紅茶を飲み干した。
会話も一段落し、みんな各々の行動をとり始める。
「みなさ〜ん、期待してくださいね〜」
ミルフィーユさんがまたお菓子を作って下さるそうだ。
二時間後、ミルフィーユさんの部屋でお食事会が開かれる。
空気のよめない私を誘ってくれたことに感謝しながら、私はクジラルームへ向かうことにした。
道中、またしてもあの女性に出会った。
なぜか私を待っていたようだ。少し待ちくたびれた顔をしている。
私は歩を止めた。
というより、これ以上前に進めなかった。まるで見えない壁に遮られているみたいに。
私はこの女性をじっくり眺める。
並んでみてわかったが、背は私より少し高い。頭一個分ほど高い。
そしてなにより私に似ている。顔立ちや髪の色、服のセンスがそっくりなのだ。
吐く息で世界が凍ってしまいそうな雪の結晶に似た冷たさを秘めているところも、私に酷似している。
私に五歳違いの姉がいれば、きっとこの女性のようだったと思う。
だけど私のこの女性とで決定的に違うところがある。
この女性は、微笑むことができる。とても美しく、とても優雅に。
自然に曲げた口元から花の香りが漂う。
「こんにちは」初めて女性の声を聞く。
その声も、やっぱり私に似ていた。
「こんにちは」と私は言う。
「あの、私になにか用でしょうか?」
女性は首を振った。肯定とも否定ともとれる振りかただった。
「あなたには自分を好きになってほしいの」と女性は言う。
「自分を、好きになる?」
「そう」
女性はまた微笑んだ。
「うまく笑えない自分が嫌い、そうでしょう?」
私は肯く。
「素直になれない、他人と距離をとってしまう、そんな自分が嫌い?」
私は肯く。
「あなたが自分を嫌いになるたびに、私は哀しくなるの」
女性は自分の胸に手を添えた。これ以上傷つかぬよう守っているみたいだった。
私の心はなにかに包まれるみたいに温かくなっていた。
そして氷河のような眠りから覚醒した。
私は自分に問いかける。
「私は私を好きですか?」
答えはノーだった。私は醜い。汚い。嫌らしい。一生、未熟者で終わる。
好きになる要素がない。
私が一人でいるとき、みんなは何をしていると思いでしょう。
治療の研究してるんでしょ。ヴァニラは勉強熱心だもんね……、そんなとこかしら。
はは、冗談じゃないわ。馬鹿にしないで。
私は人間よ。本能に逆らえない愚かな人間。
人間、ってあなたにもわかるわよね。人間よ、人間。
そう、その人間。あなただってそうでしょ? ならわかるじゃない。
食欲に誘惑され、性欲に支配され、眠くなったら眠る。そして自分勝手な夢を見る。
孤独を埋めるために徒党を組み、価値観の合わぬものには暴力的。
これ、すべて本能の言われるがまま。抗うことなんて不可能。
自制心? なに、これのことかしら。こんな腐った棒が何の役に立つというの!
いやだわ。限界。あとどのくらい続くのでしょう。
嗚呼、神よ、我を救いたまえ。汚れ逝く我を浄化したまえ。
私は笑わない。第一、馴れ合いは嫌いだから。第二、ほとんどのことが面白くないから。
故に、私は笑わない。
私の目から涙がこぼれた。
私はなんて不器用なのだろう。悔しい。
自分を憎むことこそ愚行じゃないか。
私は泣いた。どうすれば良いのかわからなくなった。
女が私の涙を撫でるように拭く。白く、繊細な指で。
涙が止まった。まるで水道のノズルを閉めるみたいに、キュッと出なくなった。
「あなたは自分を好きになれる」冷たい吐息混じりに、女は言う。
「私に…、できるでしょうか」
「できるわ。私が証明してあげる」
女は私の唇にそっと口づけをした。
美しく微笑める唇が私の微笑めない唇に触れる。
爆発でもするんじゃないかと私は思った。でもそんなことはなかった。
ふたつの唇は互いが崩れないよう優しく抱きあう。感触はとても柔らかい。
人前で泣くのなんて初めてかもしれないと、ふと思った。それは、すごく恥ずかしいことかもしれない。
でも私が涙を見せたこの女性はとても他人とは思えなかった。
私たちの唇が離れる。
開放された唇で私は息を吸い込む。甘い蜜みたいな空気が肺に流れ込んだ。
女は私を裸にしようとする。「余計なものはいらないよ、ありのままで生きなさい」
一つ、二つ、三つ。ボタンがはずされていく。
はらりと衣装が床に落ちた。私には必要ない、そんな気がした。
迷いと希望の詰まった乳房が露呈される。膨らみかけた小さな乳。
女はそれを丁寧に触れた。まるで大切な思い出にさわるみたいに。
私の敏感な突起が背伸びをする。
素直になれない私の代わりに、悦びを表現してくれているのだ。
女が乳首の先端を舐める。そして吸う。
「アッ…」
声がもれた。いままで聞いたことのない私の声だった。
私は乳首を吸われ続ける。このまま飲み干されてしまいそうだ。
吸うことに疲れ、女は一旦息を吐く。
その息は私の胸にかかり、高鳴った熱い心臓を一気に冷ます。
ああよかった、これで溶けずにすむ。
突然、私の女性器がくちゅくちゅしてきた。
見ると白く繊細な指が絡みついている。
指は奥まで入り、私の本能をつついた。
指は私の本能を出たり入ったりしている。
「ハ…アン」その度に私の口から声がもれる。
白い指に私の愛液がしたたり、光る。
思えばこれほど体液を垂らしたのは初めてかもしれない。結構気持ちの良いものだ。
同時にこれほど感情を発露したのも初めてだ。今までにない幸福感、開放感。
心にした覆面をはずしてみよう。私自身と向きあって生きよう。
女の緑色の髪が私のへそにかかる。
くすぐったくなり私は笑った。「クスッ」。
うまく笑えた気がする。
女もにっこりと笑い、私から指を引き抜いた。その指で服のボタンをはずし女は裸になった。
すべてを見せあったまま、女は私を抱いた。
同じような体温の、同じような弾力を持ち、同じような香りを放つ、同じような白い肌が、
溶けあうようにひとつになる。
ああ、人の肌ってすごく柔らかいのね。それにこの髪の香り、とても良い匂い。
近くにあるものって意外と気づかないものなんだなぁ。
私はこの女性が好きだ。だからなんとなく、私自身のことも好きになったんだと思う。
天から降り注ぐ温かい光が、私を抱擁する。私の影が照らされた。
光が消えると女性の姿が無くなっていた。
きっと私の中へ帰ってきたのだろう。死に逝くものが生まれ育った土に戻るみたく、安らかに。
私は私でいることになんの不安もなかった。
「はあ〜い、チーズケーキが焼けましたよぉ」
椅子に座る私たちの前に、ミルフィーユさんが焼きたてのケーキを持ってきた。
私はフォークでそれを口に運ぶ。
チーズの濃厚な甘味がじわりと広がる。おいしい。
こんな美味いケーキは初めて食べる。
「おいしい!」
私は叫んだ。それが素直な感想だったから。
「本当ですかぁ! やったぁ、ヴァニラさんにほめられちゃいました!」
ミルフィーユさんのうれしそうな顔。やっぱりいいな、本音を見せあえるって。
「本当においしいですわ、このチーズケーキ。ミルフィーユさんはお菓子作りに関しては天才的ですわね」
「お菓子作りに関しては、だけどね」
蘭花さんが茶化す。
みんなが笑う。私も笑う。
鳴り止まない笑顔のシンフォニー。指揮者のいない、自由な演奏。
この笑顔がずっと続けばいいのにと願う。十年たっても、二十年たっても。
百年後の自分を想像してみる。
仲間たちとお腹を抱えて笑いあう、私の姿がそこにあった。



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